K-1
5.2 K-1 GP 角田、ラスベガスで連続ダウンも最後まで仁王立ち、そして引退



2003年5月初めにひとりのプロ格闘家が異国の地で現役生活にピリオドを打った。

角田信朗、42歳。最後の場所に選んだのはラスベガス。相手は愛弟子でもあった武蔵。

角田は天才というよりは努力家であり、その強さは空手に対する愛情から来るもののように思えた。空手では本拠地の正道会館の大会での活躍はもとより佐藤塾の全日本大会で2度、準優勝に輝き、故・大山総裁が健在で分裂など考えられなかった時代の極真ウエイト制全日本の重量級でベスト4に入るという他流派の選手として快挙を成し遂げた。その後、リングスとの交流では、慣れない寝技のある試合で苦渋を舐めながらも、空手家としてのプライドを胸に諦めず勇気を持って戦った。K-1が始まり、グローブをつけてからも、格闘家としては小柄ながらヘビー級ボクサーや巨漢の格闘家を倒してきた。極真で活躍し名を馳せてきた故・アンディ・フグやマイケンル・トンプソンたちとも激闘を展開。後に続く選手たちも指導しながら正道会館及びK-1を支えてきた。リングや道場外でもテレビの歌番組や子供番組にも数多く出演し、K-1や正道の知名度を高めた。多くの他流試合もこなし、お茶の間でも活躍する。 そう、今のボブ・サップがやっていることを、先駆者として角田はやっていたのだ。

そんな格闘家だとはいざ知らず、ラスベガスの観客は見知らぬ日本人2人が対戦するメインイベントに対してあまり期待していないようだった。しかし、武蔵のミドルや膝蹴りで何度ダウンしても精神力で立ち上がってくる角田にいつしか観客も魅せられたようだ。そして、武蔵の打撃が角田の体に刻み込まれているようで、実は武蔵に角田の精神力や気持ちの大切さが刻み込まれているようだった。

4・5回ダウンしたが、角田は最後まで10カウントを聞かずに立ち続けた。判定は疑いも無く武蔵だったが、特に角田に対して思い入れが無かったであろう観客達のハートを掴んだのは角田だった。最後まで輝いて見えた。




第10試合 角田信朗引退試合 3分3R
正道会館所属
3R終了時 正道会館所属
武蔵
判定

3−0
角田 信朗