5月31日に新日本プロレス道場にて新日本の元メインイベンターであり取締役興行責任者だった長州力の退団記者会見が開かれた。
1972年に大学生ながらアマチュアレスリングでミュンヘンオリンピックに出場。翌年、73年に新日本プロレスに入団。途中、ジャパンプロレスを設立し、全日本プロレスに参戦した時期もあったが、新日本にリターンし、30年近くレスラーとしてメインイベンター、マッチメーカー、総現場責任者などを務めてきた。その長州の退団記者会見の内容は衝撃的だった。約55分間の会見中、猪木に対する強烈批判が飛び出した。
「退団の原因は会長(アントニオ猪木)」という長州。「あの人(猪木)は人間として何か欠けている。30年間あの人をミコシとして担いできたがもうやってられない。ジャイアント馬場さんが最後まであの人を信用しなかったのが今は理解できる。」と発言。「新日本の人間の多くは同じように思っているが言えないでいる。」と暴露。退団の直接の原因は武藤、小島、カシン、そしてフロント陣の退団。愛社精神を持っていた者達が猪木に不満を持ち辞めていった理由を「(猪木)会長は物事をすべてすり替えて捉えようとしなかった。」と責任の所在をハッキリさせない猪木を批判した。長州は猪木とも直接会談し、もう一緒にはやれない意向を伝えたという。
それに対し、元愛弟子からそう酷評され痛烈批判された猪木はパラオ出発の前の成田空港での会見で「全く興味がない。いい人生を送ってくれ。金に困ったら俺のとこに来なさい。」と受け流し、一部、声を荒げながらも眼中にないことを強調した。
「俺の中には(猪木)会長に対して許せない部分がある。会長には感謝すらない。」とまで言った長州。「あのバカ(橋本真也/ZERO-ONE)もある意味猪木の犠牲者。かわいそうなところもあるな。蝶野も一生懸命頑張っているが下手すると短期政権で終わるぞ。」と次なる犠牲者候補を気遣った。6月はサイパンに渡りトレーニングしながら新会社を設立。「長州力道場(仮名)」を立ち上げ、公募で集めて二人だけ佐々木健介のような選手を育てる考えがあるという。自身も現役を続行し、「まだどことも話はしていない。」が「話があれば前向きに話し合う用意がある」という。ヴァーリ・トゥードを含め格闘技に参戦することも否定はしなかった。しかし、50歳という年齢も考えると格闘技戦への出場の可能性は低そうだ。