プロレスの歴史を作って来たスーパースターたち
往年の勇姿と現在の素顔を追った感動のドキュメント 数十年に渡り、ショービジネスの本場アメリカにあって、娯楽の中心であり続けたアメリカンプロレス。その人気を支えたのは個性溢れる様々なスターレスラー達であった。彼らの往年の名勝負、現在の姿、インタビュー、メッセージなどで構成されたファン感涙のドキュメント。第18弾は、国際プロレスの代名詞であった金網デスマッチの鬼として本領を発揮し、人並みはずれた身体の頑丈さを武器に、金網最上段からのニードロップで人気を博したジプシー・ジョー。その後もデスマッチ系インディー団体に度々登場し、最も多く日本マットに登場した人気レスラーの一人。そしてスキンヘッドの巨漢パワーファイターとして活躍したマグロー。 収録時間:99分 カラー 音声:ステレオ リージョン:ALL 収録内容: プロレスを愛する放浪のタフガイ ジプシー・ジョー 国際プロレスのエース外国人として活躍し、特に金網デスマッチで本領を発揮。金網最上段からのニードロップを武器に暴れ回ったジプシー・ジョー。 5歳でプエルトリコからニューヨークに渡り、ペドロ・モラレス、カルロス・コロンらとトレーニングに励んで1963年にプロレスデビュー。北米大陸各地を転戦した後、カナダ・モントリオールでジプシー・ジョーに変身。マッドドッグ・バションとの抗争でトップレスラーとなった。その後、バションの紹介で国際プロレスに参戦。肉体の頑丈さを誇り、スチールイスでの攻撃を無防備に受け、逆にイスが壊れてしまうというジョーにしかできない得意技で人気を博した。また国プロの看板であった金網デスマッチも得意とし、ラッシャー木村の保持するIWA世界ヘビー級王座にも度々挑戦した。国際プロレス崩壊後は全日本プロレスの常連となり、ジャンボ鶴田のUNヘビー級王座にも挑戦。90年代以降はデスマッチ主体のW★ING、IWAジャパンに参戦し、変わらぬタフネスぶりを見せつけた。2010年12月、8年ぶりの来日を果たしSMASH.11に参戦。2011年1月7日、現役最年長77歳という記録を残してテネシー州のSWFマットで引退。 天使の看護士、鮮血の荒熊 バグジー・マグロー 巨体を武器にしたラフ&パワーファイトで、60年代から80年代まで日米をまたに掛け息の長い活躍を続けたバグジー・マグロー。 1961年にトム・ジョーンズのコーチを受けてデビュー。本名のマイケル・デービスにはじまり、マスクマンのビッグO、ビューティフル・ブルータス、ザ・ブルートなどいかにもマッチョ系のリングネームを次々に名乗りながら各地を転戦しキャリアを重ねた。1972年3月、マイティ・ブルータスのリングネームで日本プロレスに初来日。1974年3月にはザ・ブルートとして国際プロレスに登場した。1975年、WWWF参戦を機にバグジー・マグローと改名。スキンヘッドの巨漢ヒールとして活躍し、1978年4月、新日本プロレスの第1回MSGシリーズに参戦。アントニオ猪木、アンドレ・ザ・ジャイアントらと決勝リーグで対戦した。帰国後、日本帰りは出世するの言葉通りフロリダ地区でブレイク。ダスティ・ローデスに次ぐ人気者となりハーリー・レイスの持つNWA世界ヘビー級王座へも挑戦した。1984年3月には全日本プロレスに登場しスタン・ハンセンが保持していたPWFヘビー級王座に挑戦。その後もNWAの主要テリトリーで活躍を続けた。88年頃に引退。フロリダで看護士の仕事に就きながらチャリティーイベントなどに出場を続けている。
|