プロレスの歴史を作って来たスーパースターたち
往年の勇姿と現在の素顔を追った感動のドキュメント 数十年に渡り、ショービジネスの本場アメリカにあって、娯楽の中心であり続けたアメリカンプロレス。その人気を支えたのは個性溢れる様々なスターレスラー達であった。彼らの往年の名勝負、現在の姿、インタビュー、メッセージなどで構成されたファン感涙のドキュメント。第21弾は、ジミー・ガービン&バディ・コルト。 収録時間:99分 カラー 音声:ステレオ リージョン:ALL 全商品ポイント10% 出演: 変身を遂げた野獣男爵 ジミー・ガービン マイケル・ヘイズ、テリー・ゴディとのチームファビュラス・フリーバーズ”の一員として日米をまたにかけ活躍したジミー・ガービン。 1968年11月、16歳でデビューし、ガービン兄弟の弟としてジム・ガービンに改名。1978年よりフロリダ地区に転戦しNWA南部ヘビー級王座を獲得。1983年、ダラスWCCWに転戦。デビッド・フォン・エリックとの遺恨マッチさらにクリス・アダムスとも抗争を展開。いとこの女性マネージャー・サンシャインをアダムスに奪われると、今度は妻のプレシャスをマネージャーに起用。男女入り乱れた愛憎劇は大人気を呼んだ。1984年4月、全日本プロレスに来日し天龍源一郎のUN王座に挑戦。1985年、AWAマットでスティーブ・リーガルと組みロード・ウォリアーズからAWA世界タッグ王座を奪取。その後ジム・クロケットプロモーションに移り、今度はリック・フレアーとの間で、プレシャスとNWA世界王座を巡り抗争を繰り広げた。1989年、マイケル・ヘイズのファビュラス・フリーバーズに参加しWCWマットに登場。世界タッグ王座、6人タッグ王座などを総なめにした。1993年、ダラスGWFに参戦しテリー・ゴディとGWFタッグ王座を獲得。1994年9月、GWFの消滅とともに現役を引退。 3度の危機を乗り越えた、若駒 バディ・コルト カウボーイもしくはハンサムロン・リードという本名でも活躍。60年代から70年代にジョージア&フロリダ地区でトップヒールとして君臨したバディ・コルト。 1940年メリーランド出身。海兵隊に加わりボディビルを始める。1960年、ワシントンD.C.で開催されたボデイビルコンテストに参加し、2位の成績を収めてプロレス入り。当初は本名のロン・リードでプレイし、セントラルステーツ地区を中心にハワイ、アマリロなどを転戦。それぞれの地区タイトルを獲得した。1969年9月、国際プロレスに初来日。日本でもロン・リードの名前は知られていたが、ジョージア地区で名乗っていたバディ・コルトを名乗った。保持していたUSAヘビー級王座をストロング小林に奪われ帰国。しかしその後はバディ・コルトとして出世。1970年9月、ニック・ボックウィンクルを破りジョージアヘビー級王座を奪取。1971年12月まで5度に渡り王座に就く。その後フロリダに転戦。1973年2月、ジャック・ブリスコを倒してNWAフロリダ州王者となる。1974年10月、ジョージアに戻りルーク・グラハムからジョージアヘビー級王座6度目の戴冠。さらにロジャー・カービーと組んでジョージアタッグ王座も獲得した。1975年2月20日、乗っていた飛行機の墜落事故で大怪我を負い現役を引退。その後はヒールレスラーのマネージャーとして名バイプレイヤーとなった。
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