プロレスの歴史を作って来たスーパースターたち
往年の勇姿と現在の素顔を追った感動のドキュメント 数十年に渡り、ショービジネスの本場アメリカにあって、娯楽の中心であり続けたアメリカンプロレス。その人気を支えたのは個性溢れる様々なスターレスラー達であった。彼らの往年の名勝負、現在の姿、インタビュー、メッセージなどで構成されたファン感涙のドキュメント。第19弾は、マイク・グラハム&ジョニー・ロッズ。 収録時間:105分 カラー 音声:ステレオ リージョン:ALL 収録内容: ハーレーダビッドソンを愛す、乱闘男 マイク・グラハム 名プロモーターとしてフロリダ地区で辣腕を振るったエディ・グラハムを父に持ち、藤波辰巳とのNWAジュニアヘビー級王座戦で日本のファンにも鮮烈な印象を残したマイク・グラハム。 ボリス・マレンコ、ヒロ・マツダに鍛えられた後、父エディが主宰するフロリダで1972年にデビュー。エディとの親子タッグで経験を積み、翌73年、ケビン・サリバンとのコンビでフロリダタッグ王座を獲得。その後もスティーブ・カーンやバリー・ウィンダムらと組み、タッグ王座を長年に渡って保持した。80年2月、フロリダで藤波辰巳のNWA Jr,王座に挑みこれを奪取。王者として翌3月に新日本プロレスに参戦したが、4月4日、蔵前国技館で破れてタイトルを失った。81年よりAWAマットに転戦。AWAライトヘビー級王者となり、バック・ズモフとの抗争を2年以上に渡って繰り広げた。83年、フロリダに戻りフロリダヘビー級王座を獲得。その後、スティーブ・カーンとともにジム・クロケットプロモーションにも参戦し活躍した。88年、AWAマットで再びAWAライトヘビー級王座を獲得。1989年にはフロリダに戻り新生FCWマットで活躍した。1990年よりWCWでロードエージェントを務め、徐々にレスラーを引退。以後は様々な団体でエージェントやトレーナーを務めている。 ブルックリンの黒豹 ジョニー・ロッズ ニューヨーク生まれのニューヨーク育ち。名脇役としてWWEマットで長年しぶい活躍を続けたロッズ。 ブルックリンのYMCAでレスリングを学び、1968年にWWWFマットでデビュー。下積みを続けながらレスラーとしての実力を磨いた。1974年4月、MSGでジャンボ鶴田と対戦。その試合が認められて翌5月、全日本プロレスに初来日を果たした。帰国後、ロス地区のハリウッドレスリングに転戦し、シーク系のアラブ人ギミックを用いてジャバ・ルークを名乗る。78年1月には全日本プロレスに再登場。その後WWFマットに戻り、79年1月、藤波辰巳のWWF Jr.王座に挑戦した。80年2月、ジャバ・ルークとして転戦したカナダマットで、エドワード・カーペンティアを破りカナディアン・インターヘビー級王座を獲得。81年2月にはMSGで谷津嘉章と対戦。その後転戦したプエルトリコではスーパー・メディコ2号として活躍した。ボブ・バックランドをはじめ、様々な若手レスラーをスター選手に育て上げ、80年代半ば頃にリタイア。また、引退後ブルックリンに開いた「グリーソンズジム」からも数多くの選手を送り出し、名トレーナーとしての地位を獲得している。1996年11月、長年の功績が認められ、WWEの殿堂入りを果たした。
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